吉野山(清元・義太夫)
吉野山(清元・義太夫)
場面は目もさめる様な桜花満開の吉野山、ふき輪に前差した
お姫様づくりうちかけ姿の静御前に緋縮緬、襠袢の袖、
黒の着付に源氏車の刺繍の入った衣装の忠信という配合の美しさが、
さながら一幅の絵模様ですが、普通の道行ものの恋人同士でなく、
佐藤忠信という源氏の勇士が、義経を慕って吉野におもむく
静御前のお供をして守護して行く途中であり、しかも主役の忠信は、
静の持っている初音の鼓の皮に張られている狐の子の化けたもので
あるという夢幻的な構想が、舞踊としての面白味に合致しているので、
今日、歌舞伎は勿論、各流の舞踊会に屡々上演され最も人気のある
流行曲の一つとなっています。
元来この曲は「道行初音旅」といって義太夫狂言の傑作「義経千本桜」
四段目の一部に相当する舞踊劇なのであります。
「幾菊蝶初音道行」という本名題で文化五年五月江戸中村座で
初演された富本、後に清元に改調された曲で二世瀬川如皐の
補作した歌詞を、鳥羽屋里長が作曲したもの、初演の配役は静御前が
瀬川路孝、源九郎狐が中村歌右衛門でありました。
本調子の「恋と忠義は」のオキがあって「馴れぬ茂みのまがひ道」で
花道から静御前の出、義経を慕って尋ねて行くのです。
元来忠信は静を無事に送り届けなければならぬという忠義と子狐が親を
慕う心持とを見せるのが役の性根ですが、特に鼓が傍で扱われている
間は、それにひきつけられて狐の本性があらわれる振りや思入れが
随所にあります。物語の後「いつか御身も」から再び春めいた
手に返って二人が又道行の姿になって終わるのですが、現今では、
このあと早見の藤太が軍兵の花四天を従えて出て、
忠信と所作ダテになるという演出。
静御前 若狭流三世家元 若狭彰さま