藤川流


屋号「寿屋」

藤川流 宗家 藤川爵応

藤川流の起りは慶長十一年三月(1606年)に遡る。
当時、徳川ニ代将軍秀忠の頃、江戸城増築が行われ
その落成祝いに招かれた諸将の一人阿部安房守正春が
席上興に添えて武士舞いを披露秀忠を始め
居並ぶ諸大名は見事さに口を揃えて「偉大なる事
霊峰富士にして差す手、引く手は清き川の流れに似る」とほめたたえた。
十二年後の元和三年(1917年)たまたま正春の屋敷に
来合わせた幕府絵師狩野探幽がその舞いを見て持ち帰り
当時江戸で親交のあった渡辺有楽に振りを伝授
後に有楽の子息、渡辺朝湖を名乗ったのが藤川流の起りである。

以来、藤川、瀬川、花川は江戸歌舞伎歴代振付師
として江戸の三川と並び称されて来た。
明治五年以降後を継ぐべき有能な人材に恵まれず
その名称が途絶えていたが昭和四十三年現宗家が
若くして多くの人々に推挙され、伝統ある日本舞踊、
藤川流を継承した。

その後は舞踊界の貴公子、宗家藤川爵応によって
江戸の最隆盛期を凌ぐ現在の藤川流を築き上げ
現在に至っている。

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